小説で飯を食う日記

掲示板のSS作家が『小説家』になるまで

やらない自分を分析してみた話

楢茶と申します。

普通の人は経験がないと思うのだけど、僕は何かのテストがあったとしてその前日まで何もしない(いわゆるノー勉)で挑んだり、プレゼンの発表があっても当日まで何も手をつけずにいたりすることがあった。

いつからこうなってしまったのかと言うと多分高校の時で、高校の時というのは偏差値が高かったので周りにどこまでも努力し続けられる人間が溢れていたために絶望した。

ゆえに頑張っても疲れるから生きてればいいやと満足のラインを下げたことが発端なように思う。

まあ記憶なんてあてにならないけれど。

しかしノー勉ならテストは不振だしプレゼンは完成せず怒られるし、あんまりいいことがなかったりする。

今もとりあえず就職しか思いつかなかったので就職で動いているが、1個目の面接先がまず試験を課すところなのに過去問を買ったものの3割くらいしか解くことができなかった。

ちなみに試験は今から3日後だから、7割くらい解ける可能性はある。

これを生来の特性なのかと聞かれると中学までは抜群に成績が良かったので違うと断言できる。

じゃあ怠けているのかというと、自分の意思でどうにかできるものじゃないから怠けている意識はないのだ。

むしろ僕個人としてはこの形質に不具合を感じていてどうにか勤勉になれないか腐心していると言ってもいい。

精神病棟に入院した経験から、自分の心を変えることはできると確信している。

目先の試験勉強にストレス(ゲームができない、アニメが見れない、小説が書けない)を抱えながら取り組むよりも、ストレスなく物事に取り組めるスキルをつけたほうが後々特になると考えたので、ここ数日は図書館と本屋で書籍を読み漁って方法を構築していた。

また完璧に試験を捨てたわけでもなく、過去問全体を流し見て、ノー勉でも7割くらいは解ける確信を持てたからリスクを取れたという背景もある。

 

僕の状態についていくつか仮説が立てられた。

1 ADHD系統の発達障害

2 慢性的な疲労状態

3 サイコパス

4 依存症の副次作用

このうちまず1は除外された。

何故なら精神病棟にいた時に僕は自分のことをADHDだと疑っていたので試験をさせてもらったからだ。

結果注意欠陥は認められたが多動傾向が全くなかったので発達障害とは認められなかった(ただのドジということだ)。

2も怪しいと思っていたのだが、精神病棟に入院して以降僕の生活リズムは5時起床10時就寝の完璧な7時間睡眠をキープしており体調だけに関しては極めて良好だからこれもない。

毎朝1時間は徒歩で移動しているし、ラジオ体操と腕立て伏せは欠かさず、たまにジムに行くなど適度な運動をしているしね。

3は報酬系が鈍っていて目先のドーパミンが出ることにしか取り組めず辞める方向で考えられないという点では近いと思ったのだが、サイコパス特有の共感力の低さが僕には当てはまらない。

またサイコパスは恐怖を感じないそうだが、僕は恐怖も強く感じるほうなので違う。

ということで僕の出した結論は4である。

ゲーム、マンガ、アニメ、味の濃い食事など多岐にわたる依存症、かっこよく言うと『クロス・アディクション』が僕の抱える問題のようだ。

精神病棟で治療したのは社会不安障害という、人のことが怖くなってまともにコミュニケーションが取れなくなる病気だったので、依存症は社会不安障害が取り除かれてなお残っていたラスボスということになる。

依存症はADHDうつ病に似た症状として表出する場合があるそうだ。

この解決策まで考えて実践し始めているのだが長くなってきたので今日はこの辺にしておく。

更新頻度落とします

楢茶と申します。

自己分析とかをやっていますが、精神科で自分と向き合った経験が生きている気がします。

さて、更新の頻度なのですが、毎日やって忍耐力を鍛えようと思ったんですけれどそんなに毎日コンテンツ力のある日記を書けるわけでもないので、考えがまとまった時だけ書きに来ることにします。

その代わり、記事は読み物としても楽しいものにしようと思うのでよろしくお願いします。

それではまたの機会に。

GRITを持つには人生の目的を持つこと

楢茶と申します。

表題のGRITというのは本屋で平積みになっている自己啓発本のタイトルになっていた言葉で、意味は「やり抜く力」ということらしいです。

僕はとにかく気が散りやすく、集中しよう!と思っても五分後にはスマホをいじりだすような奴なので、やり抜く力にはとても興味があります。

本を読んで自分なりに理解したのは

・初期値や成長率よりも、継続することができるかどうかが人生の大半の場面では重要。つまり才能より努力が大事

・努力を継続できる条件は、努力する対象を心からやりたいと思う≒好きであること

・人生に目的を持っているとトップダウン式に必要なことが決まっていくため、例えば小説は好きだけど就活の試験勉強は気が乗らないという場面でも『小説でメシを食うためにチャレンジする資金が必要だから、それなりの就職は必須条件だ』ということになり頑張りやすい流れが構築できる

こんなところでしょうか。

自己啓発本はそんなん当たり前じゃんってことが大半なんですけれど、それが腹落ちするかどうかは読み手の知識ですとか心構えによって変わって来るのだと思います。

僕は精神病棟の入院前後で自己啓発本を読んで得る情報量が圧倒的に変化しました。

ジョジョで言うところの『兄貴の言葉が言葉じゃなく心で理解できた』というコトなのかなあと、思います。

 

短いですがまた明日。

依存症体質との決別

楢茶と申します。

最近、心理学の本を読むのがマイブームです。

なぜかと言うと、自分の抱える問題を理解する助けになるからです。

僕の抱える問題で、まだ完璧に克服できていないものは2つあります。

・依存しやすい

・意志(やり抜く力)が弱い

僕はこの2つの問題を別物だと捉えています。

依存しやすいと言うのはそのままで、ゲームやネットサーフィン、Twitterなどを延々と「さして楽しくなくても」やってしまう。それらに触れていないと落ち着かない、という状態に陥りやすいということです。

意志(やり抜く力)が弱いというのは、依存は置いておいても、自分でやると決めたことに最後まで取り組めないことです。

精神病棟に入院したことはチラッと書きましたが、その時は依存や意志の弱さについては治療の対象外としていました。何故なら当時の僕は人に話しかけるのが怖い、というレベルに不安が大きくなっておりその不安を取り除かないことには社会生活を送ることが困難になっていたからです。(入院生活の話はすでに解決していることなので詳しく語ることはしないつもりです)

不安を取り除いても、依存症体質は変わらずに残っていました。心の問題というのは鬱、統失と簡単に割り切れるものではなくて、いくつもの問題が絡み合っていて1つ1つほどいていくしかないのですね。なんにせよ依存症体質は目的に向かって進んでいくには邪魔なので、アル中の治療法や幾つかの書籍を参考にして処置を始めました。

処置といっても、基本的に依存症は「適度」ということができなくなるので、すっぱり辞めるというだけです。

ただし意志の力で抑えるのは不可能ですから、「自分の中に依存に侵されたもう1つの人格がいて、人生を不幸にしようとしている。」という認識を持つことで、ゲームやTwitterに誘い込む声がした時にもう1人の自分の存在を感じられるようになりました。

もう1人の自分が悪意を持って目先の快楽を求めていると分かれば、対人の問題になるわけです。対自分だとどうしたらいいかわかりませんが、悪意のある第三者になら対応ができます。

人間の心って面白くて、認識や考え方が変わるだけで劇的な変化をすることがあります。

 

それではまた明日。

まず就職することにした

楢茶と申します。

さて、前回は小説でどうにかして飯を食う方法を模索していくと言っていたのにいきなり就職!?という感じなんですけれども、理由があるのです。

 

まず休学中の僕には大きく分けて2つの道があります。

1つは何事もなかったかのように復学し、研究を続けて修士号取得を目指す道。

もう1つは大学院を中退する道。

 

前者のメリットは、在学中の大学院の方が卒業した大学よりランクが高いため就活が有利になるかもしれないこと。研究職が選択肢に入ること。そして研究を真面目にやったことで身につく論理的思考力や胆力など。

デメリットは卒業が2019年度になること。再び精神病にかかる可能性が高いこと。そして親から経済的に自立できず精神的負担が大きいこと。

後者のメリットは、経済的に自立できるため親の支配から逃げられること。トラウマを抱えている研究室に戻らなくていいこと。

デメリットは最終学歴が中堅私大になること。大学院卒よりは生涯賃金が安くなる可能性があること。

 

熟慮の末、大学院に復学するのは無駄な苦労かなと思うようになりました。おそらく、得るものよりも耐えなければならない苦痛が上回ります。

たかが2年間ですが、人が鬱になるには3ヶ月あれば十分です。その8倍も耐えられる気がしません。

なので、まずは中退の方向で動くことに決めました。

 

中退した場合、食べていくために働くか親の脛をかじり続ける必要があるわけですが、年齢だけは大人なので親に使用明細を報告したり、親に認められた品物しか購入できない生活にはうんざりしています。

なのでニート生活は論外。自分で食い扶持を稼ぎたいと思いました。

ここで表題に繋がるのですが、僕の人生における目標は作家です。

作家というか、正確には物語を作る人なのですが、現状表現手段は文章しか持ち合わせていないので暫定的に作家を目標にするしかありません。漫画原作者シナリオライターでも良いと思います。

これはもう揺るがないのです。どうしようもなくやりたいけれど、支配的な親のもとにあったので時間を思いきり割くことができずにいました。

(パソコンをつけていれば『遊んでるんじゃない!』と決めつけて画面を覗き込み、場合によっては手が出る親の元で安心して創作活動に励めるでしょうか? 僕はできませんでした)

 

働くと決めたら、次は何かしらの定職を持つか、専業作家として生きて行くかになります。

もちろん、気持ちとしてはすぐにでも原稿を仕上げて新人賞に出しまくり専業作家になりたいものです。

しかし、同人活動を通じてプロの方と知り合う機会が増えた結果、現行のビジネスモデルにおける専業作家は本当にシャレにならないくらい厳しいということがわかりました。

そこで、僕が選ぶ道は普通に就職をする道に決まりました。

 

言葉を意図的に省きました。

将来的に出版社が支配権を持つタイプの作家ではなく、国民総クリエイター時代にふさわしい新たな作家としての生き方を提示したいので、安定した収入は必須ということです。

先立つものがなければチャレンジはできないわけです。

 

今日のまとめ。

院を中退して就職を目指すことに決めた。

 

それではまた明日。

どんなブログかの説明

楢茶と申します。
この文章を書いている2017/7/2現在は某大学院修士二年生です。
しかし一年前、つまり修士課程に進んで数カ月たった頃に精神病を患い、可能な限りの単位取得を行いましたが肝心の研究が殆どできませんでした。
先の見えない人生に絶望する中、精神病棟への入院を経て体調を整えつつ、2017年10月までの休学期間を過ごしています。

このブログは、研究を行い修士号を取得して普通の就活をする、という楽なレールから外れてしまった私が、唯一頑張ることのできる『物語を綴る』ことをなんとかして飯の種に出来ないかと奮闘する日々を淡々と綴っていくものです。

具体的には
・食えない職業の代表格である小説家を、選ばれし者の職業からいかにして引きずり下ろすか
・作家が孤独に行う創作を、複数人で行うビジネスとして運用する方法はないか
・出版社に認めてもらえないと小説家として食っていけない構造を破壊できないか
今は答えを持っていませんが、こうしたことを考え、解決する過程をお見せしていきたいと考えています。

それでは、また明日。